海外にいるとき、あらためて母国でやってみたいことに出合う。それが今回登場してくれる泊さんの移住ストーリーの始まりでした。ニューヨークに住んでいた頃にアートを通じた地域コミュニティに興味がわき、帰国後は東京から大分市に移住してアートに関わる活動に従事。現在はさまざまな形で、地域コミュニティを盛り上げる活動を行っています。
ライター:鈴城久理子
01| 東京と宮崎の2拠点生活から大分市へ
502.39平方㎞に473,495人(2024年5月末現在)が住む大分市。その西部に位置する野津原(のつはる)地区は、その8割近くが森林エリアという土地。標高は東部が40cmほど、西部が500mほどという起伏に富んだ地形が特徴です。この地域が大分市に編入されたのは、2005年のこと。「合併するまでは“野津原町”というひとつの自治体でした。地域のみなさんの『自分たちで地域を運営している』という雰囲気が素敵な場所です」と教えてくれたのは、4年前に移住してきた泊さん。1年前までは、地域おこし協力隊員として活動していたといいます。
野津原地区を流れる七瀬川周辺では、9月中旬から10月上旬にかけて美しい彼岸花を見ることができる
地元にある「大分県 県民の森平成森林公園」の香りの広場
泊さんが住む野津原は豊かな自然が魅力で、なかでも特筆すべきは大分県県民の森・平成森林公園。この公園にはラベンダー園やさくら園、紅葉の森などがあり、自然に触れるには絶好の場所。キャンプ場やコテージ、ツリーハウスなどもあり、週末にはたくさんの家族連れでにぎわいます。野津原には、見晴らしのよい「ななせダム」や美しい「今市石畳」など見所もたくさん。5月下旬から6月下旬には、七瀬川周辺でホタルを鑑賞することもできます。
インスタグラムでは、こんなふうにイラストをほどこした写真を投稿することも(写真左)、JR大分駅直結の複合商業施設「アミュプラザおおいた」の柱に、絵を描くという仕事(写真右)
アートを通じた地域コミュニティに興味が湧き、帰国してから東京と出身地である宮崎の2か所で活動開始。模索の日々を過ごしていたという泊さん。もっとアートと地域コミュニティについて勉強したいと考えていたとき、友人から耳よりの情報が届きます。それは、大分市で募集していた地域おこし協力隊の活動でした。「廃校を活用したアトリエと地域をつなぐお仕事が、地域おこし協力隊のミッションとして募集されているという情報だったんです。すぐに応募しました」。そして採用が決まり、東京と宮崎の2拠点生活から、大分市野津原へと移り住むことになります。
02| 何も知らない土地で、最初は経済面での不安も
大分市内にあるカフェの中庭。地域おこし協力隊の研修や交流会を通じて、少しずつ地域を知っていった
当時まだコロナ禍で、十分な視察ができないまま協力隊になることを決めたという泊さん。「野津原のことをリサーチしたくとも当時はネットにあまり情報がなく、また、協力隊として活動しながら、経済活動を同時に行うことへも不安を感じていました。そんな不安から大分市へ拠点を移すことに緊張していましたが、まずは、車の免許を取るところからスタートしてみたんです」。
03| アートという入り口から移住生活を開始
地域おこし協力隊の辞令交付式にて。任命されたミッションは文化芸術振興だったそう
旧野津原中部小学校(=ななせアートスタジオ)は、半分は地域のためのスペース、もう半分はアーティストのためのスペース
「大分市の地域おこし協力隊は3つの地域のどこかに配属されるケースが多いですが、勉強したいと思っていた“アートを通じた地域づくり”という視点から考え、市がアートの基盤をつくろうとしていた野津原地区に決めました。縁もゆかりもない野津原にアートという切り口だけで住み始めましたが、今となっては地元の人々と楽しく生活しています」。
協力隊の仲間と、市内にある佐賀関に遊びに行くなど楽しい思い出もたくさん
大分県竹田市にある「竹田丸福」で食べたビッグな唐揚げにもイラストを描いた(写真左)、地元の人の畑を訪れ、大量の新鮮な野菜をお裾分けしてもらうことも(写真右)
「実際に住んでみてよかったことはたくさんあります。いろいろなアート活動に触れながら、アーティストとゆっくり話ができることです。大分県はアートのプレイヤーがたくさんいるんです。別府・由布・竹田など近隣の市でもいろんなアーティストと出会うことができます。美術館やホールでの作品鑑賞や、地域を活用したアートプロジェクトなども楽しむことができます。アトリエでのんびり過ごしながら、制作に打ち込むことができるのも最高ですね」。
04| アートプロジェクトの企画や講師など多岐に渡って活動
地域のふれあいサロンで実施したアート講座。この日のテーマは「童心にかえって桜吹雪で遊ぼう」
「大分市アートを活かしたまちづくり」事業の一環で、シャッターアートを手掛けた
協力隊の任期終了後も野津原に残り、さらに大分県や宮崎、福岡でも仕事をしているそう。「現在も協力隊員のときとあまり変わらずにアートプロジェクトの企画・運営、ワークショップの講師などを行っています。そのほかにも移住の経験をいかした相談員や、大分全体の協力隊サポートも増えました。現地に赴き、いろんな人と仕事をするのが楽しいです」。
ローカルライフマガジンの『TURNS』で、野津原での活動を紹介された
美術の専任教師がいない野津原中学校の生徒たちと、ななせアートスタジオを利用するアーティストをマッチングさせる事業
普段からお世話になっている方々への感謝の気持ちを込めて、描き上げた似顔絵イラスト
野津原に移り住み、さまざまな活動を通して自分に足りなかった点にも気がつくことができたという泊さん。「その地域について表面的に調べるだけでは足りなくて、地元の人々にいろんなことを教えて頂くことが一番です。アートや地域活性化の話をする前に、まずは地域の求めていることや地域とのウィンウィンな関係を探すことが大切かもしれない……と気がつきました。みなさんと“対話”をすると、いろんなお話をしてくました」。
市内にある「ふないアクアパーク」で開催されたハロウィーンイベントに、みんなでおばけを作るワークショップで参加
「今は大分がメインですが、出身地である宮崎との2拠点生活にも挑戦したい」。そう語る泊さんに、これからの暮らしについてのイメージを語ってもらいました。
「“移り住む”という意味である『移住』という言葉は、どこかしっくりこないと感じることがあります。どちらかといえばコミュニティが増えたイメージの方が強いかもしれません。コミュニティの選択肢は増やしていける今の時代、大事にできる手の届くコミュニティ、風通しがいいコミュニティなど、自分らしくいられる居場所をゆっくり探していけばいいと思います」。
また、地域の人々とのコミュニケーションについてのアドバイスもお聞きしました。
「自分の移住の目的は大切にしつつ、地域側の立場に立って想像することも大切だと思います。地域の人の話を聞いて、質問して対話し、そして自分の要望もきちんと伝えること。人と人が関わり合ってひとつの地域をつくっていくことは大変だと思いますが、常に相手の立場に立って考えることを忘れないようにすればよいのかなと思います」。
※泊さんのインスタグラムはこちら!
https://www.instagram.com/tomari_asami/
05| まとめ
「移住」ではなく「コミュニティを増やしている」。まさに目からウロコの考え方ですね。地域側の立場に立って想像してみることは、移り住む際のヒントになりそうです。
この記事を書いた人
鈴城久理子 ライター
雑貨紹介や料理、インテリアなど暮らし系の記事を中心に執筆することが多いライター。ただいまメダ活実践中。