新天地を求めて移住を経験した人たちのストーリー。今回は結婚を機に川越へ移住し、レストランを開業した中川夫妻の移住物語。多忙な都心ライフで心身ともに疲弊した日々を救ってくれたのは、あたたかい人々と暮らす緑豊かな田舎での生活でした。
ライター:鈴城久理子
CONTENTS
01| 二人とも田舎暮らしに興味があり、 模索の末に川越市へ移住することに
都心からわずか数十分という近さにもかかわらず、昔ながらの田園風景が広がる川越市
東京・池袋から準急列車で約40分。都心から30km圏内に位置し、通勤圏としても人気を集めている埼玉県川越市。109.13平方kmの広さに約35万3千人(2023年11月現在)の人口を有する、埼玉県の都市の一つです。とはいえ中心地を少し離れると、見えてくるのは広々とした田園風景。4年前にこの風景に惹かれ、中川夫妻は移住を決意したといいます。
川越のシンボルといえばこの「時の鐘」。江戸時代、当時の川越城主である酒井忠勝がこの場所に建てたものが最初といわれている
二人が暮らす川越市は江戸情緒を現在も色濃く残し、都心からもたくさんの観光客が日帰りで訪れる街。「時の鐘」をはじめ、30軒ほどの菓子屋などが並ぶ「菓子屋横丁」、蔵造りの町並みが歴史を感じさせる「川越一番街」など見所がいっぱいです。
1457年に太田道真・道灌(どうかん)父子が築いたといわれている川越城は、観光客が訪れる人気スポット
江戸時代に川越城の城下町として栄えた川越市は、街の随所にその面影を残しています。その代表的な建造物が「川越城」。ほかにも「川越氷川神社」や「川越大師 喜多院」「仙波東照宮」など、川越の歴史を知るのに最適な場所が盛りだくさん。中川夫妻も、観光スポットや歴史スポットをいくつか訪れたそうです。
田んぼや畑などのどかな自然に囲まれていることで、穏やかな気持ちで暮らせるようになった
結婚するにあたり、一緒に住む場所をどこにするかと考えたのが移住するきっかけだった中川夫妻。「実は夫も私も都会での生活があまり好きではなく、二人とも田舎暮らしやスローライフに興味を持っていたことから、移住先への希望は一致していました」とさくらさん。当時は都内で会社員として働いており、心身ともに疲弊した状態が続く日々。移住するなら自分の時間を大切にしつつ、畑を持ったり、ゆったりとした生活を送りたいと思っていました。
02| 移住を決意したのはコロナ禍の最中。自粛ムードのなかで不安がたくさん
好きな場所に移り住んだ後、さまざまな縁がつながって偶然今の店舗に出合った
移住への希望は一致したものの、次の困難が待ち構えていました。移住を決意した当時はコロナ禍1年目で、緊急事態宣言のまっただなか。感染症が大流行中の関東圏から田舎への帰省を巡る議論が、毎日のようにニュースで流れていた頃。「近場の外出さえ自粛ムード。マスクも外せない、あいさつもままならない。そのような状況下で高齢者の多い田舎へ移り住み、『関東から移住してきました』なんて言ったら、まわりに不安を与えてしまうのではないか。そんな空気のなかでの新生活は、自分たちにとっても幸せなことなのか……。すごく悩みましたね」。
結果的にはさくらさんの出身地である埼玉県内で、自分たちに合う場所を探して移住先を決めることに。そして、選んだのが川越市でした。
03| すべてゼロからのスタート。新しい挑戦を受け入れてくれた街
畑を持って8か月目の様子。くわも握ったことがなかったものの、見よう見まねで奮闘した結果が少しずつ実を結んだ
移住の大切な目的の一つが畑を持つこと。「レストランと加工食品の販売を並行して展開できたらいいな、というのが当初の希望でした。引っ越してすぐ畑を借り、最初にやったのが大規模な草むしり。農園というにはほど遠いやや広めの家庭菜園という感じでしたが、おじいちゃんやおばあちゃんの畑仲間に恵まれたことで、すぐに大好きな畑になりました! 」
少し前までは定食屋、定食屋の前は居酒屋だったという古い店舗を夫婦でリノベーション
都内に住んでいた頃は、イタリアンレストランのシェフをしていた誠さん。古い商店街の一角にあった食堂が閉店することになり、縁がつながってその場所を譲り受けることになりました。そして、純和風だった建物を少しずつ自分たちでつくりかえていったそう。「あまり大がかりなことはできませんでしたが、まわりの人たちの協力をあおいで、想いを込めてリノベーションしていきました」と当時を振り返ります。
和風の格子の引き戸をDIY。外観のテーマカラーはグリーンとブルーをほのかに感じるグレー
リノベーション中は近所の商店街の方々が励ましてくれたそう。「ご近所さんはいつも『いい感じだね』ってほめてくれるんです。わざと、かすれたように塗るペンキの塗り方にビックリされたこともあったようですけど……。川越には知り合いが誰もおらず、何をするにもゼロからのスタートだったのですが、僕たちの新しい挑戦を応援してくれる街だったんです。それは本当にラッキーなことでしたね」。
畑で摘んだ草花をお手製のツルカゴへ。いろいろなものを手作りすることもさくらさんの楽しみになっている
「移住してよかったと実感するのは、好きなものが増えたこと。夫が畑に行くと、飾る花を摘んできてくれるんです。好きなものがたくさんあるって幸せ。これも田舎暮らしの特権かもしれませんね」。そんな豊かな時間をたっぷりと満喫しています。
04| 一年後に夫婦でお店をオープン。小さな看板息子と三人で奮闘中
懐かしさを誘う商店街に誕生した「そのままキッチン」。もちろん看板も手作り
移住してから一年後、誠さんの夢だったレストランを夫婦でオープン。
料理人として独立することが目標だったため、思い描いた道を歩くことになりました。メニュー開発から調理までをすべて一人で行い、持ち前のきさくな性格で接客もバッチリ。さくらさんはSNSや制作物などを担当しながら誠さんをサポート。昨年には第一子が誕生し、小さな看板息子と三人で奮闘しています。
シェアキッチン&レンタルスペースとしても店内を開放
その後、レストランだけでなく、お店を持っていない人や教室をやりたい人などに向け、スペースを貸し出すシェアキッチン&レンタルスペースも開始。「やりたいけれど踏み出せない」「店舗を持たずに夢を実現したい」。そんな想いを持った人に、今まで自分たちが受けて嬉しかったサポートをおすそ分けする、ちょっとした恩返しなのかもしれません。
レストランと同時に加工品の販売も開始
目標としていた加工品の販売も実現。バーニャカウダソースは、試行錯誤しながら味もパッケージもバージョンアップしていきました。「このソースはまだお店をオープンしていない頃から作っていたもので、私たちの第一歩を象徴する商品。店内はもちろん、地元のファーマーズマーケット(その地域の農家が自分で作った農産物を直接販売する市場)や直売所、週末のマルシェなどでも取り扱いできることになり、少しずつ広がっていきました」。
無農薬、化学肥料なしで育て、収穫した野菜はまるで大切な子どものよう
収穫できる時期は、お店のメニューの一部に使用しています。梅雨の時期になると雨で畑が壊滅してしまったり、無農薬ならではの虫食いに悩まされたり、毎日自然との闘い。でも、野菜の成長に一喜一憂する生活は、都会の暮らしでは味わえなかった充実感に満ちているようです。
レストランとは違う場所でのお客さんとの交流もとても大切にしている
移住後はコロナ禍もあってすぐにはお店を持てなかったため、中川夫妻のやりたいことを後押ししてくれた人々の紹介で、地元のファーマーズマーケットへの出店からはじめ、もう3年以上が経過。そんな経緯もあり、イベントには今も積極的に参加。そこで知り合う地元の方々との交流も大切な宝物になっています。
「好きだなあ」と思える町でやりたいことに挑戦できるのは、何よりの幸せ
コロナ禍も少しずつ落ち着き、当初求めていたよりもさらに田舎で畑や田んぼに囲まれて暮らしたいな、子育てがしたいな、と日々話しているという中川夫妻。今すぐではないにしても「その時期がきたらまた動いてもいいかも」と思っているそう。
「好きな場所でやりたいことに挑戦して暮らすのは、苦労もあるけれどとても贅沢で幸せな人生だと思うんです。もし『移住したい』と考えているのであれば、深く重く考えすぎず、まず移り住んでみるのもいいのではないでしょうか。やり直しもできますし、もしかしたらとても素敵な暮らしに変わるかもしれません」とアドバイスをくれました。
中川さん(そのままキッチン)のインスタグラムと公式サイトはこちら!
https://instagram.com/sonomama.farm
https://sonomama-kitchen.studio.site
05| まとめ
住みたい場所でやりたいことをするのは、一番の贅沢なのかもしれません。次回は、熊本県南阿蘇村に移り住み、お店をオープンしたご夫妻のストーリーを紹介します。
この記事を書いた人
鈴城久理子 ライター
雑貨紹介や料理、インテリアなど暮らし系の記事を中心に執筆することが多いライター。ただいまメダ活実践中。